斎藤元彦県知事を尋問する、百条委員会の委員長、奥谷謙一氏39歳。
イケメンでありながらまだ結婚していないようで、自宅は母親と二人暮らしです。
そしてなんと、この自宅兼事務所に、立花孝志氏が突撃し演説をしたというわけです。
学歴を見ていくと、すべてこの自宅から通える距離にあったことから、ずっとここに住んでいた可能性が高いと考えられそうです。
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奥谷謙一の自宅は神戸市北区
奥谷謙一氏の自宅は兵庫県神戸市北区にあり、
コチラの自宅は、事務所兼自宅と登録がされています。
これに対して、そんなのあり?といった世間の声も多いです。
奥谷けんいち後援会事務所
こちらは事務所として登録されています。
奥谷けんいち後援会事務所、そして自宅ですね。
〒651-1242 兵庫県神戸市北区山田町上谷上宮開地35
最寄り駅の谷上駅は、有馬と神戸をつなぐ主要駅で、
有馬街道という道路も山と山の間を走っています。
とても静かな場所でありながらも、メインの道路に出ると、新神戸トンネルもあり、神戸市三宮へのアクセスも車で20分ほどですぐにつきます。
結局はデマだった、奥谷謙一氏のエクシブ有馬離宮への雲隠れですが、この有馬温泉も車ですぐ行ける距離にあります。
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母親と二人暮らし
こちらの奥谷謙一氏の自宅には、母親がいらっしゃいます。
父親は奥谷氏が高校生だったころ、51歳という若さで他界されています。
奥谷通さんという議員でした。
奥谷謙一氏の父親は、1984年に前妻である奥谷禮子さんとは離婚していて、その後結婚した女性が奥谷謙一氏の生みの母親となります。
奥谷謙一氏が生まれたのは1985年なので、
離婚後すぐに結婚し出産されたということになりますね。
その母親と共に自宅に住まれているということ。
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立花孝志が家の前で演説
奥谷謙一氏の自宅兼事務所で、立花孝志氏が演説をしていますね。
これに対して恐怖を覚えたという、奥谷謙一氏の母親は涙したといい、奥谷謙一氏は遺憾だとコメントしています。
結局、立花孝志氏は奥谷謙一氏と真っ向から戦うとコメントし、訴状を送り付けたようです。
奥谷謙一が通っていた中学、高校、大学
奥谷謙一氏が通っていた中学、高校、大学は甲南という、阪急電鉄岡本駅が最寄りの、お金持ち学校です。
甲南大学はイケイケであることからステータスにもなり、
通っている男子は、甲南ボーイと言われるほど人気でした。
学歴
神戸市立谷上小学校
私立甲南中学校
甲南高等学校
甲南大学法学部
甲南大学大学院法律研究所、法務専攻を修了
神戸市立谷上小学校までは徒歩で約20分。
行き道は下りなので早いですが、帰りは登りなので30分くらいかかっていたかもしれません。
中学校、高校、大学は甲南であるため、エスカレーター式に通われていました。
こちらは若干遠く、電車で行くなら1時間半近くかかります。
北信急行は当時相当高額だったはず。今は落ち着きましたね。
会社が倒産し、その原因は…とも言われていますね。
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